幼い頃、両親が経営していた呉服屋の影響で、布に触れる機会は多くあった。ちりめんのすこし乾いた指触りや、半纏の裏地がシルク地でサラりと羽織れたこと。母の着物姿や、浴衣のさわやかな雰囲気。あの頃の記憶は今も感覚として残っている。そして富士吉田に移住してから12年。織物の産地であるこのまちには、布と共に歩んできた歴史があった。今も息づく布の文化と、薄れてしまったもの。布の肌ざわりや風合いだけでなく、作り手のこだわりや、産地の特性、歴史を知ると布の楽しみ方は一段とひろがった。
ある日、富士吉田にある機屋のひとつ「テンジンファクトリー」に、テーブルクロスをオーダーした。藍染で作られたその布は、作られたばかりのものなのに、初めからアンティークのような、時を感じる味わいを持っていた。
布を織るための糸は、植物や虫を育てるところから始まる。その糸も、撚り方や太さ、素材、色などで、持ち味が変わる。糸の織り方もさまざまだ。糸と織り方の掛け合わせで、色艶、形、風合い、柄、薄さ・厚さなどのバリエーションは無限に広がる。さらにその布を素材として、藝術家による仕立て、編集によって新たな生命が宿り、価値が冴え上がる。その過程を、実際に目にし、肌で感じてきた12年だった。
山間という土地柄で運送の苦労があった富士吉田だが、それ故に、軽くて高品質なものをつくる技術が発展し、絹の細い糸が得意という産地の個性を得た。また、富士吉田の機屋さんは、どこも小規模で、作る布もそれぞれ異なる。「西陣織」のような地名の着いた商品群があるわけでもなく、「今治タオル」「広島・岡山のデニム」などのような、特定の布の製造が有名なわけでもない。初めは、個々の機屋がただバラバラにあるようにも見えるだろう。けれども、細い糸を得意とし、小ロットでさまざまなクリエイションにチャレンジできる機屋がいくつもあるという柔軟性こそが、富士吉田の強さであることがわかってきた。多様性があるからこそ、大規模な量産品とは異なる希少性の高いブランドからの引き合いも途切れず、今なお続く町の主要な産業として息づいている。
このような機織りの町で、『布の芸術祭 FUJI TEXTILE WEEK』を開催するようになったのは自然な流れだった。布の豊かな個性を生み出すことができるこの町で、芸術家が布と向き合い、布の魅力や可能性や意味性を、芸術家ならではの発想で引き出すのだ。
芸術家が布で作った作品は、布を作る工場の職人たちを触発し、彼らの仕事の価値を高め、産業をも鼓舞する力を秘めている。そんな、産業と芸術が相互に影響し合う芸術祭は、世界の中でもなかなか見当たらないのではないかと思う。
なぜ、布はかくも魅力的なのか。そのヒントは、民藝運動の主唱者で、思想家でもあった柳宗悦の『手仕事の日本』に見ることができる。日本語には「上手・下手」「手本」「腕利」「読み手・書き手」など、手に因ちなんだ言い方が多く、ほとんどすべての動詞に「手」の字を添えて人の働きを示す、という指摘だ。そして、「そもそも手が機械と異なる点は、それがいつも直接に心と繋つながれていることであります。機械には心がありません。これが手仕事に不思議な働きを起させる所以ゆえんだと思います」(柳宗悦著『手仕事の日本』1948年)とある。
職人らによって織り上げられた布は、そこはかとない美しさをもつ。それは、卓越した技術による「手」仕事を布に感じるからではないだろうか。
富士吉田の機屋さんたちが今なお使う織り機は、手間のかかる古い“道具”だ。“機械”と違って、人の手が介在しないと動かない。あえて古い織り機を使うことは、一見非効率なやり方にも見えるが、「手」がかかるが故に、柳の言う「不思議な」魅力を醸し出すことができるのだろう。
FUJI TEXTILE WEEKでは、市民の方々にボランティアスタッフとして手伝ってもらっている。彼、彼女らがこぼすことばの端々からは、地域が織りなしてきた、布をめぐるさまざまな景色や心象が浮かび上がってくる。子どもの頃に近所で聞いた機織り機の音、小さな町工場の姿、職工の人たちと食べた賄い飯。数々の言葉が手がかりとなって、地域に宿るテキスタイルの記憶が蘇る。また、2023年に行った「布と短歌」(伊藤紺×木下龍也 FUJI TEXTILE WEEK 2023)は、歌人2人の短歌の展示に加えて、来場者も気軽に歌を投稿できる参加型の企画だ。たくさんの人の布への思いや思い出が、さまざまな言葉で寄せられた。言葉が、布の魅力と可能性を改めて掘り起こし、深め、広めるための糸口となりうることを実感した出来事だった。
今回のFTWでは、「言葉」という糸口を継承し、新たに「布と言葉」というコラムを、全国各地の地域文化拠点となっている本屋や布関連の店舗、作家などの方々に書いていただいた。布というものが、いかに個人の記憶と強く結びつくものであるかを感じられるコラム集になっていると思う。
実は、布=Textile と、言葉= Textは、texere(テゼーレ)=編むという意味の同じ語源から派生した言葉である。また、「布」という字は、「布教」「頒布」「流布」など、伝え広める意味の熟語によく使われる。
このFTWが、芸術家と産業が相互にインスパイアし合う場となり、言葉を介してその魅力を伝え広める役割を果たせることを願っている。