FUJI TEXTILE WEEK 2025に先駆けて始まったWEBコンテンツ「布と言葉」は、改めて布が持つ表現の可能性や魅力を言葉で紐解こうという試みです。さまざまな人たちに、テキスタイル・布・織物・繊維について思いを馳せ、自由に語っていただきました。布が広がるように言葉が伝わり、布に包まれるように言葉が届きますように。
今回は、FUJI TEXTILE WEEKの実行委員会会長/アート展ディレクター 南條史生の言葉。この芸術祭にかける思い、そしてこの布の芸術祭を通して考える現代アートと産業の理想的な関係について聞きました。
FUJI TEXTILE WEEK(以降FTW)は、千年以上続く織物の産地である山梨県富士吉市の産業の歴史を根底に、伝統産業と地域の活性化を目的として2021年にスタートしました。テキスタイル産業とクリエイティブな表現が出会い、共創する、国内唯一の布の芸術祭です。
アートという概念的なものと布をつくる機織り仕事という技術を結びつけるとき、そこには理屈ではない語れない新しい可能性が生まれます。初回(2021年)は、詩的な広がりを込めて「織りと気配」というテーマを掲げました。今回のテーマは「織り目に流れるもの」。これは、地表を流れる川と地下の⾒えない⽔脈の関係のように、織物の下層にも、音や手のリズム、記憶、土地の気配が脈打っていて、そんな、可視化されないもの、下に潜むものに焦点を当て、織物という表層からその文化背景や歴史の深層を探ろうとする思いを言葉にしたものです。織りという工芸的な仕事がアートと融合し、真にクリエイティブな仕事に昇華していくという発想は、FTWが大切にしているものです。
アートとまちと産業がクロスオーバーするFTW
FTWは布の芸術祭ですが、展示作品はテキスタイルでできているものに限定せず、広い範囲の作品を展示します。アートは単に彫刻や絵画のことだけではなく、いろいろなものの考え方や見方を示すものですから、本展の参加者には映像を撮る人、工芸的なものを生み出す人、パフォーマンスをする人がいてもいいと思っています。そのほうが、テキスタイルの“本質”を表せるはずですから。
過去のFTWの中でも、印象的な作品がいくつもありました。2021年に大巻伸嗣が手がけた『トキノカゲ』という作品は、気流によって浮遊し揺れ続ける布を見せてくれた面白い作品だったと思います。また、2023年に旧山叶(1872年開業の金物や織機部品などを扱っていた工場)に展示された、地図をモチーフにした顧剣亨の作品『Map Sampling_Fujiyoshida』も調査を基にしたコンセプチュアルなアプローチでしたね。ある方向に突出したような作品というのは、見る人をワクワクさせてくれます。
ひとつの街を舞台として繰り広げられる作品は、サイトスペシフィック・アートとも呼ばれ、あらかじめ展示する場所を特定して制作されます。しばしば、古民家や工場、駅や学校など、特徴のある場所の場合が多いですが、それは美術館やギャラリーのような真っ白な空間=ホワイトキューブとはまったく異なる空間で、その場に対話を作り出します。廃墟の中の台所や古い本棚などに作品が展示されると、日常の生活体験とは違う特異な世界に没入できる感覚が生まれます。環境全体が作品の一部になるので、どこか包みこまれるような体感型の鑑賞体験になり、強く記憶に残ります。富士吉田の展示空間は、いつも特徴があるので面白いです。
アートの視点で発想や見方を変えていく
歴史のある機屋(織物屋)がいくつも残るまちで行う芸術祭が、テキスタイル産業に関わっていない地元の人たちをいかにして巻き込んでいくかということは、開催当初からの課題でした。FTW2025では、富士山のエキスパートである学芸員の方や森のガイドさん、地域おこし協力隊の皆さんなど、テキスタイル産業の枠を超えた地元の方々にも多く参加していただけたらいいなと考えています。
また、布に直接携わる地元の機屋さんには、表現の機会を設けたいと思っています。これまで黙々と機織りを続けてきた職人の方々が、外の人と出会って自分の仕事を説明するというのは、彼らのアイデンティティを見せる良い機会です。FTWがそのような場を作っていくことで、一種のシビックプライド(郷土愛)となり、市民が一つとなって社会にある種の強さや確信を与えていくのではという気がしています。大げさかもしれませんが、多くの人の生きがいにもつながりますよね。
芸術祭を行う上では現代アートの本質にも触れたいと考えています。“現代アート”と呼ばれるものは、マルセル・デュシャン(1887-1968年-フランスの美術家。代表作に便器を展示した「泉」がある)の時代に大きく変わったと言われています。彼によって、「アートは一つのコンセプトである」という考え方が打ち出されました。コンセプトとは“ものの見方”だということなのです。
実は日本では、もっと昔に同じようなことを説いた人物がいました。千利休です。中国から運ばれてきた白い磁器が一番素晴らしいものだとされ高額で取引されていた時代に、利休は瓦職人に焼かせた無骨な茶碗の方が良いと言うわけです。真っ黒で歪んだ茶碗が素晴らしいのだと利休が言うことで、侍や武家の商人たちがそれを高額で買うようになり、当時の茶碗の美学をひっくり返したのですね。彼は、“ものの見方”を変え、価値を創造したわけです。
現代アートの世界をのぞいてみると、「この絵がなぜ10億円も!?️」と言われることがありますが、現代アートにおいてはものの価値以上に、ものの見方を変える“コンセプト”にとても大きな価値を見出しているということなのです。
そのような現代アートの世界と職人のものづくりの世界は別のもののようですが、実は繋がっています。それは、今まで通りの仕事を繰り返すだけでは、ものづくりが発展していかないからです。発想や見方を変えていくことで、伝統工芸を守る職人たちが新たな道を開き、より豊かに生き続けることができる、そんなふうに思います。アーティストたちの視点を通して、さまざまな解釈、いろいろな言葉、そして見たこともない作品が生まれることが、ものづくりを未来へつないでいくのです。
また、この芸術祭を通じて、日本という国がどのようにできあがり今に至っているのかの縮図を見せてもらっているようにも感じます。同時に、今後どうしていくと良いのか、未来の富士吉田がどういう姿であるべきなのかということも考え、テキスタイル産業で栄えた素敵なまちが、芸術祭を通じてどのような地方都市であり得るのかという想像や議論が生まれることを期待しています。
芸術祭というのは“アートの民主化”ですから、市民の方々に理解されるような広いアートの入り口をつくっていくことも重要です。FTWでは、テキスタイルを通して世界を見ることができます。芸術家だけでなく、クリエイター、デザイナー、建築家……いろいろな人が関わって、テキスタイルというプラットフォームの上でものを作ってみる、自分の考えを表現してみる。そうすると一見バラバラなものが出来上がるわけですけれど、でもそれらが集まると、そこに一つの希望が見えてくるんです。新しいものが立ち上がって、それがまちづくりへの強い一筋の道になっていく。それこそが、未来に向かって生きるということの具体的なイメージにつながっていきます。FTWは、そういう道標となる芸術祭だと思っています。