FUJI TEXTILE WEEK 2025に先駆けて始まったWEBコンテンツ「布と言葉」は、改めて布が持つ表現の可能性や魅力を言葉で紐解こうという試みです。さまざまな人たちに、テキスタイル・布・織物・繊維について思いを馳せ、自由に語っていただきました。布が広がるように言葉が伝わり、布に包まれるように言葉が届きますように。

今回は、飛騨高山で民藝店を営む〈やわい屋〉店主の朝倉圭一さんの言葉。民藝を愛し、現代の生活者の視点からその魅力や歴史を見つめる朝倉さんが、布をキーワードに“新時代の民藝”を考えます。



我々の生活と布は、切っても切れない関係で結ばれている。暮らしを見渡せば布を用いてつくられた製品が無数に目に入る。服、クッション、椅子敷き、人形、布団と数えたらきりがない。纏うもの、敷くもの、包むものであるそれらは、人知れず、偉ぶらず、静かに誇らしげに雨の日も日照りの日も、我々の側にいてくれる。布は、最愛の友であり、人生の同伴者のひとつだ。

執筆依頼をいただいた際、真っ先に浮かんだのは“ヒダ”という言葉だった。ヒダとは、しわ状のもの、衣服やカーテンなどの折り目を指す言葉だが、なぜそのことを思ったのかといえば、それは僕が生まれ育った地域と浅からぬ関係があるからだ。

僕は岐阜県の北部、飛騨高山という山奥の盆地に築かれた小さな町で、民藝の器を扱う工藝店を営んでいる。ヒダ高山……そう、僕が生まれ育った町は“ヒダ”なのだ。飛騨という地名の由来については諸説あるが、飛騨山脈(北アルプス)の山襞(やまひだ)と関わりがあると言われている。確かに雪解けの時期などは特に、残雪の残る山襞の様子は、市内からもはっきりと一望できる。遥かに望む山肌は冷たく荘厳だが、その様に柔らかなヒダを重ねると、なんだかさらりと羽織りたいような気持ちになる。古来の人々も郷土の風景を心に羽織って暮らしていたのかもしれない。

さて、話を先に進めることにしよう。ここからは「民藝」という視点から布について考えを進めたいと思う。「民藝」とは、思想家の柳宗悦が、いまからちょうど百年前、自らが親愛を寄せた品々に仮に名前を与えるならばどのようなものが良いだろうか? そう仲間たちと考え、新たに作り出した造語「民衆的工藝」の略称だ。かくして喜びと共にこの世に生まれた民藝という言葉。やがて、その言葉が指し示した美や思想の基に人々が集まり「民藝運動」と呼ばれる運動へと発展していった。

民藝運動とは、日常使いの道具の中に、優れた美を有したものがあることを見出した人々が、その美しさに学び、そのような美しさがどのようにして生まれるのか? また新たにそのような美を生み出すことは可能なのかについて、蒐め、作り、論じてきた思索の軌跡だ。「民藝学」であるならば、学問的体系が必要になる。しかし、民藝は運動なので、体系化することなく、同人はそれぞれの思いをもって美を追い求めた。美の頂はひとつだが、そこに通ずる道筋は人の数だけ存在する。その道筋の違いこそが民藝の魅力なのだ。

朝倉さんの営む〈やわい屋〉

とはいえ、なんでも民藝という訳ではなく、柳も民藝の特性(定義ではなく)を、何度となく著作で述べている。要約すると、民藝の特性とは、次のようなことになる。

「土地に暮らす熟練した職人達の手によって、伝統に即し、自然の恵みに支えられた、実用性を備え、数多く作られ、買い易い価格のもの」

民藝の同人達が親愛を寄せたものは、このような特性に裏付けられたものだった。地域で手に入る素材と、培われてきた技法によって作られたものは、暮らしが土地土地でさまざまなのと同じように、自ずから個性を持っていた。しかし、現代のような情報社会、大量生産大量消費の時代においては、地域性や素材選びなどは、どれも意識的に取り組まなければいけない特別な条件となってしまっている。自然と産まれたそれらは、多くは選んで生み出すものへと変わってしまった。残すものから選ぶものへ……その違いは大きい。

布を例にあげれば、工業的に作られた既製品と、人の手で時間をかけて作られた工藝的に作られたものを並べて語る場面は少なくない。その際は、「製品の機能」や「工程の手間」、「素材の確かさ」あるいは「ストーリーの有無」などがものさしとして用いられ、端的に言ってしまえばコスパに優れたお買い得なものはどちらか? という選別がなされている。しかし、これは少しおかしな話だ。

例えば、「回転寿司」と「暖簾のかかった寿司屋」を、同じ寿司屋として並べて語る人はまずいない。同じ寿司を扱う仕事である両者の違いを、多くの人が理解し、両者が両者のままに共存できているのは、それぞれの質に見合った価格への理解が伴っているからだ。家族や友人と“普段”通う回転寿司と、“特別な日”に訪ねる暖簾の寿司屋では、利用する機会が明確に違う、そのことへの理解がまだ社会の内に存在しているので、価値と価格に関するボタンの掛け違えは起こっていない。

しかし、工藝においては掛け違えが頻発していると言わざるを得ない。なぜかと言えば、工藝を用いる際の作法や礼節に触れる機会、学ぶ機会、憧れる機会が、日常から消え去ってしまったからだ。

暖簾の寿司屋が、ハレの日に使われる店だと知っている人がほとんどなのは、本人が利用していなくても社会の中にそのような習慣が今もあることを身近に感じられているからだ。

一方で、着物を着る機会に恵まれない人は、着付けの作法だけではなく、作られる際の手間を知らず、知らない以上はその価値に触れることも考えることも出来ない、だからこそ似たような機能を有した量産品と、職人の手によって丹精に作られたものを、同じ“着物”として比べることができてしまう。

そうやって、工藝の多くは日常から姿を消してしまった。ここで言う日常には冠婚葬祭のような日も含まれている。ハレとケの日が往来し、線引きなく混じり合っているのが日常だが、現代人にとっては、手をかけて暮らしをつくることも、冠婚葬祭の儀礼もひっくるめて非日常でしかない、であるならば日常とはどこにあるのだろうか? 現代を生きる我々が感じるある種の閉塞感の根っこも、複雑な日常の不在に起因しているのではないだろうか? 

今日、工藝的なるものに求められているのは、情報をなぞるような触り方ではなく、出逢ってしまった……そう感じるような触れる機会を、日常の中で自然と設けることなのではなかろうか。日々の景色に当たり前にあるもの、大切な人が大切にしているもの、それらが纏っている情感は、五感で感じる以上のことを我々にも、それに触れる人にも与えてくれる。広がりは、遅い方が、狭い方がじんわりとして心地いい。手に触れられる距離で温もりで、手渡すように共に在ることこそ、工藝を工藝たらしめているものではないだろうか。

布であるならば、纏うこと、飾ることは、それほど難しいことではない。工藝を日常に回帰させる担い手は、工藝を愛する我々自身の他にいない。ごはんをおいしそうに食べる人が、周囲を笑顔にするように、工藝を心から味わう姿は、必ず周囲を美しくする。そう僕は信じている。  最後に、民藝運動の同人で染色家の外村吉之助が自身の信条として掲げた「木綿往生」という言葉を引いて終わりとしたい。

私の考えでは、人類に与えられている繊維の中で木綿は最高の存在だと思います。最も有用であります。生まれてから死ぬまで、私共は木綿の厄介になっています。(中略)様々なお役に立った後は雑巾になって一生を終わります。雑巾になりますと、バケツ中で揉まれ絞られて、板の間やろうか拭き、家具類を拭きます。そしてボロになって生命を終わります。(中略)生命を捧げて世に尽くします。そういう往生をしようと言うのが私共の願いであります。
ー 外村吉之介「愛の三つの相について(岡山県文化賞受賞記念)」(倉敷民藝館刊/1992年)

一枚の布の向こうに透けて見えるのは、自然であり、技術であり、折り重なる人の営みそのものだ。そんな布との出逢いを存分に味わうなかで、産地や郷土のこれまでとこれからに思いを馳せる人々が増えるのであれば、それは過去から学び未来を見据える、小さいけれど確かな一歩なのではないだろうか。